近年のイタリアのネックレスはとても軽く作られます。
特に近年人気の地金のネックレスは、長いもので150cmあり、とてもボリュームが出ます。
以前は、いかに多くの金プラチナを使うかといったようなものが多く肩をパンパンに張らして着けていましたが、今は洋服地の変化にともない、軽いものが主流となってきたようです。
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ムレスナセイロンのアンセルム社長もよく知る間柄です。

うまい日本茶の話伺いました。
敷地内にある大徳寺の茶室と同様の茶室をながめらがら晴天の宇治の秋風を感じながめらがらいただく茶はほんとに豊かだと感じますね。
さて、紅茶とブレンドできる茶の打ち合わせもしっかり行いました。
京都のなのでなんとか本物京都の香りと味わいを紅茶に加え、豊かだと思って貰える製品を届けたい!
ワガママいって、幾つかサンプルをいただき宿題となりました。


抹茶工場
北村宇治茶問屋様の茶葉は、桂離宮横の中村軒。
http://www.nakamuraken.co.jp/
にていただけるそうです。
その他のご質問はサロンドアリカ迄。
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KANDY コレクションサンプル品誕生
CEYLON KANDY TEA / セイロンキャンディーティー
復活を記念して宝石コレクション"KANDY"を作ってみました。
ミラノスタイルにてカジュアルにお楽しみいただけます。

として登場予定
・宝石ピンククォーツは今流行りのシュガー・ロフカットを採用。
このカッティングは大変技術と石の削り損が出る為貴重な宝石となります。
キャンディー(CANDY)にちなんでKANDYならではファッション性の高いデザインとなっております。
K18ピンクゴールド.ピンククォーツ.ネックレス(Q;約15ct)
CANDYだけになんとか、ハロウィンに間に合えばよいのですが。。。
TRICK OR TREAT!
●チェーンはイタリアジュエリーでも有名なイタリアビチェンザ州のチェーンメーカーにて製作されたこだわりのもの。
確度によってきらきらと光るところがよりファッショナブルになります。
●より幅広い年齢層に親しんでいただけることを希望します。

●刻印はレーザーカッティング採用。
●石の色目は全部で6種類ご用意する予定でございます。
●なお本製品は、現在製作の段階でありサンプルを写しました。
よって、チェーンの形状や地金の色目が予告なく変更される恐れがあります。ご了承ください。

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アンティークマイセン窯皿入荷いたしました。
ココが

なにより多色使い。
昔は、下地の線から始まり何度も色を重ね塗りするたびに焼いていたようですが、この間高島屋にマイセンの絵付け師が来日していたので聞くと、そんなには手間がかかるとの事でした。
古き良き時代を楽しむアンティーク。
機会があれば古を思い手に取ってみてください。
SALON D' ALIKA kYOTO

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さて本日の勧めは。。。
●スリランカムレスナ社がブレンドしたスリランカ茶葉使用の「ディンブッラ/DIMBULA」です。
驚くほど豊かな香りが部屋中に広がります。
●『うれしい送料無料!楽天お試しパック価格!!』
●『ディンブラ』
5900フィートのディンブラ地区での採取茶葉は、バラの香りがほのかに感じられ、はっきりとした透明感のある味。
商品購入口はここをクリックしてください。
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コロンビアに鉱山を持っている知人からの連絡があり、香港ジュエリーアンドジェムショーに参加することにしました。
このショーは世界で1.2を争うぐらい大きなショーとなっています。
宝飾参加ブランドは数少ないですが宝石の数は半端がない。現在中国バブルのあおりを受け日本のマーケットには良質な宝石が流れてこず、この香港に集まると云っても過言ではない。

さて、ショーに来るまえにエメラルドの話をしておいたマイナー(鉱山所有者)に合うと肝を冷やしました。
背筋が凍るほどのもの。「これを見れただけでも香港に足を延ばしてよかった。」と同時に今回の商談は厳しい。それを想わせる賜物でした。
エメラルドは、コロンビア産ムゾー鉱山が高値で取引されることが多い。青みがかった色の物はとりわけ高い。政治的な理由もありなかなかでまわらない。その他日本でもブラジルやザンビア産のものがあるが、たいていのものは後者に当たるでしょう。
石の形は色と同様に大切な価格を決める要素となります。再びカットを行うと1割くらいは減ってしまうことも多々あります。
その他エメラルドは内包物の量。透明度。ラスター(光沢)。値段が整うのがとても難しい石です。
私は、コロンビアンは凛と背筋が伸びる色と表現したい。
静寂の中に妖しさが光る石。他の緑がかった色の石もあるが、このコロンビアンでしか表現できないものがある。知性を表現するほどの深い緑は高貴で品がよく、身につけるものよりひきたててくれます。石のもろさも相まって突き詰めると日本の和の匂いがする美しい石です。
宝石は値段がすごく高いものです。特に男性には理解できないかもしれません。
なぜだ??よく聞かれます。
価格は、買い手と売り手の駆け引きで決定します。もちろん買いたいし売りたい。相場の中での駆け引き。オークションでは味わえない部分でもあります。
マイナーもこの石がどのようにしてこの石をてにしたのか?苦労しただけに(政治や戦争、抗争。。。背景を知っているだけに)気持ちを持って接してくれます。
そして、お客さんの喜ぶ顔を浮かべる。答えたいと思う気持ちが背中を押すのです。
逃げ出したくなる気持ちでいつもつぶされそうになります。それでも悩んだ分だけ自信となります。お客さんに喜んでもらえます。なぜなら宝石は永遠にお客さんの家に代々伝わっていくものであるから。。。
そしてそういう出会いをされている方だけが、本当によい宝石を所有されていると思います。
さてさて、やっと香港からも解放されます。
宝石バイヤーの独り言でした。
SALON D' ALIKA KYOTO / サロン・ド・アリカ 京都

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台風直撃の京都。
雨ザアザア。
よりによってこんな日に香港とは。。

台風直撃
何となく嫌な気分で出発となった。
これで3回目となる香港の渡航。香港ジュエリージェムショーにて宝石の仕事があったための出国。
はっきり言って、アジアの喧騒はもう疲れたというか?卒業したい?と思っておりあまり行きたくないと思っている。
3時間半の近場の香港。
ヨーロッパや南アジアに比べ楽々。これは大好き。
出張はこうであってほしい。
香港に来るとかつて読んだ「深夜特急/沢木耕太郎著」を思い出します。
主人公が貧乏旅行の果てにアジアからヨーロッパへ予定も立てずに到着する話です。
彼は香港から訪れた。
初めて異国に出発する際、異文化に触れ、日本で当たり前のことがつうようせず頼るものもない息苦しさと、逆に習わしや束縛からの解放にてこの街に長く居続けてしまうのだった。
物語はおおかたそのアメとムチを存分に感じさせる香港とインドネパール当たりの話がほとんどを占めていた。
筆者が感じたところが集約されています。
そうです、アジアの喧騒をいやに思っている私も7年前はこの本を手に毎日鼻の穴が真っ黒になるスリランカに飛び込んだのですから。
何となく香港に来るとこの主人公が香港の街に骨抜きにされたのが私にはわかるのです。
西欧と比べると人も人間もどこかとっつきやすい街。だから人間味を感じ日本が忘れてしまった部分をこの街は感じさせてくれるのかもしれません。不便の中にも小さなよろこびは感じれるものです。
やっとこさ仕事が終わったのが午後9時。いつものように、もう眼がぼやける位集中とネゴでクラクラになりました。
そうだ!
今回はいつものホテルが満室で新しいホテルを用意してもらったのだ。
だがタクシーがつかまらず、とうとう電車と徒歩で向かうことにしました。
いつものつもりでグーグルマップを見ようとしても使えず、駅で貰った地図を片手に人に聞き持っていくことになる。
歩けど暮らせど一向に着かず、駅2つ分行きすぎ、しまいに海につき。。。
道逆でしょ。
逆逆。。。んーしんどい。
ほんとに!もういやっ!
てだれも助けてくれなーい。
とか独り言いいもって。。。迷路のようなこの街にやられ、でかいトランクケース引きずってとぼとぼ歩いていると。
香港の夜景。
SALON D'ALIKA KYOTO/ サロンドアリカ京都

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ミラノ、フィレンゼ、ローマ、シチリア を回り 多くの新作を輸入してきました。
今回はアンティーク調。特にシチリアのゴシック様式が面白いものがあったとの事。
これから10月にかけて少しずつ入荷してきます。
お楽しみに
~ flavor and aromatic tea~ EARL GREY TEA
こんにちわ。KANDYです。
今回の出品物は、スリランカムレスナ社がブレンドしたスリランカ茶葉使用の「アールグレーティー」です。もちろんスリランカムレスナ社長のアンセルム氏のお墨付きの品です。
紅茶の好きな人たちが集まっているこのサークルにてぜひ味や香りのお言葉をいただければと思っております。
よって、赤字なんで少しずつしかできませんが、こういった形でオークション紹介いたします。
よろしくお願いいたします。
●出品内容
『まず封を切ってください』
驚くほど豊かな香りが部屋中に広がります。
鮮度を保つため、一つ一つティーパックを本国にてアルミニウム袋にて小分けしています。
だから、とっても自然香に近い香りが漂います。
『味わいは少しの粗糖で』
香りだけでなくFANNINGなので味もしっかり出ます。1バッグで何杯も取れますよ。
豊かな時間を楽しんでください♪
品目; ~ flavor and aromatic tea~ EARL GREY TEA
メーカー;CEYLON KANDY TEA by MLESNA(CEYLON)LTD.
内容量;2g*10袋(アルミニュウム袋に小分けとなります)
生産地;スリランカ
参考定価;525円
なお、クロネコメール便をお選びの方は、平らにするため外箱は開けさせていただく事をご了承ください。
http://auction.item.rakuten.co.jp/11290369/a/10000049


SALON D'ALIKA KYOTO / サロン・ド・アリカ京都
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事故で足を失ったとのことでしょうがなくの閉店。
(本人の希望により写真は有りません)
お疲れ様でした。
あれから2年と10カ月。。。。

今治大丸で力を合わせ神輿を担いでいたものは今は別の道を歩いている。
ライバル会社のMもしくはTに入社し、その才能を振っている方々。
同グループの他店舗に入社した方。
違う職を求めた方。
もう営業をやめた方。
こういった気持ちのこもった仕事を出来る方々と出会えたこと感謝いたしております。
また、新しい話題もあります。
今年から今治をD丸百貨店は、高知店が担当することになりました。
以前同様、どうすれば喜んでいただけるか?売上をどのように作るか?
責任感の強い所長が先頭となり、地域の顔I様ご指導いただき日々研究をしております。
いつかDの紙袋が街にあふれることを願います。
●最後に心からの友人
U越さんのご冥福をお祈りいたします。
S井さんの元気な姿をお待ちいたします。
●また心苦しい文体、内容の寛大なご配慮をいただきたく存じ上げます。
2011年09月17日
SALON D’ALIKA KYOTO/サロン・ド・アリカ 京都

蛍の光。
什器だけ残る店内。
やり遂げたと胸を張るもの。
むなしさに包まれた思いから抜け出せないもの。
30年同じ道を走った思い出に浸るもの。
その場に居れず。百貨店の最後を見届けられなかったもの。
皆人生を掛けてきただけに思いもひとしお。
全ての者が豊かで平和であればよいのに。。。何もできない。
感謝だけ。
「今治の皆さまありがとうございました」
2008年12月末。
今治でのランドマークであった今治大丸百貨店の歴史が終わった。
おわり
この街に年2階来るようになり、10年程経ったある日。一本の電話が鳴った。
Tにいからでした。
「どうやら、大丸が閉店するようだ。」だれもなにも聞かされていなかっただけに耳を疑った。
この年2008年はアメリカ巨大投資会社が倒産。そのあおりを受け世界中に大恐慌が吹き荒れた。世界経済が混とんとし株価とドルが下落、高級品が売れなくなりその痛手は百貨店業界に大きな影響をあたえた。百貨店も軒並み倒産に追い込まれた。
今治大丸では大規模スーパーが建設を始め人口のドーナツ化現象も始まっていた事も倒産の決め手となった。
初めて私から宝石を買っていただいたお客さん。スマトラ沖の津波から奇跡的に生還した小生にゲンを担ぎ「いつも付けているのよ。」と指輪を見せてくれたお客さん。厳しく一から仕事を教えてもらった外商。テニスサークル。釣り大会。夏のおんまく祭り、花火大会等。電話の声を聞いたとたんに思い出が湧き出てきた。
「もっとみんなと仕事がしたい。」
30年も同じ地区を回っていた街の顔となっていた
そういうことを感じると、終わりを実感できるようになってきた。
本当に終わるのだ。
無念よりも、自分を育ててくれたこの街この百貨店この外商の友人に感謝を感じるようになってくるようにも心変りしていった。
ありがとう。
SALON D’ALIKA KYOTO/サロンドアリカ京都
初めは、恐い印象の外回りの営業さんも、心通いだすと面白い方が多かった。
S井さん。
何といってもこの方面白い。
お客さんに面白いあだ名を付けて馴染になっていた。
初めてイタリアの宝石商を顧客めぐりに行った際。玄関先にて宝石箱を開け紹介する。
お客さんの玄関は半畳位のつくりで中腰での商談となる。あれやこれや商品の紹介をすると1時間位かかる間、大柄のイタリア人は慣れない中腰でしかも扇風機もない場所で汗びっしょりになりながら売込。
商談が成立して玄関から出てきた際には、腰から崩れるように座り込んでいた姿をみて。
このお客さんをエントランスと名づけよう。。。
清水さん「今日はエントランスいくよ。。。」これだけで、一度体験した者はどっと汗が出た。
他にも、IちゃんやBさんなどお世話になった業者も多かったと思います。
U越さん。
この方も変わっていた。とにかく他の営業より早く仕事に出かける。飯も食わずに営業。
休む暇さえ与えられず、ひたすら車を走らせ多くのお客さんの御用聞きを繰り返す。
お客さんの家まで車から走っていらっしゃった。「お客さん、いいのあるのじゃ~ちょいと見て。」
はにかみながら、でも自身があるとの顔をする。信用のある寡黙な外商の一声で宝石が売れた。
しかし、このストイックさには半端がなく同席している業者は昼過ぎから皆腹をグゥグゥすかして困ったものでした。(笑)
Kにい。
「奥さん。今日は、これです。」
訪問前に車の中で物色しポケットに入れる。一つだけ商品を持ちその一つを販売できる。しかも、100万円はする高価な宝石。手品師。
T坂にい。
ドスがきいた声、見た目が明らかに怖い方。西条市の祭りが三度の飯より好きという。ビジュアルが気合入っており、とても百貨店マンを想像させない方。
この方ににらまれたお客さんは、財布のひもを緩めざる得ない。
その他の営業約20名もみんな凄腕で、いとも簡単に宝石を売る。
この外回りの強い外商営業によって会社は回っていたといっても過言ではなかった。
続く
SALON D'ALIKA KYOTO/サロン・ド・アリカ京都

毎年、2月と8月。「物が売れないニッパチ(2.8月)」に今治大丸では、我々の企画をしていただき、数字の大事な部分を任されるようになっていった。
始まりが厳しかっただけに、その期待のされようは自分の実力の向上を感じ励みになり、また売り上げは加速した。
私にとって今治大丸でのセールスは、年に2度ある高校野球の甲子園大会のごとくチャレンジ精神を感じていたと思います。
毎年自分の課題を建て、優勝出来るようにあの手この手セールス手法を考えた。
「お客様をびっくりさせてやろう。あの方にはこんなものは見たことないだろう。」そんな気持ちで今治が戦いの場であり、安らぎの場でありまた達成できなかった時は落胆の場となった。
もう、今治に伺う1か月前からそわそわし早く今治に行きたい。早くみんなに会いたい。
そう思うようになっていった。
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イタリアジュエリーは、金細工として長い歴史を持っています。
銀色を表現するのにK24の金色に25%パラジウム等の異金属を溶かしK18(18金)とし固くし装飾品とする。
元来、金はK18となれば軽く、融点が比較的低く、PT比べると安価。
装飾品の素材としては最も適している金属です。
しかし、かつてからの日本の商習慣からプラチナが日本では主流であり、銀色の宝飾品がプラチナとシルバーと読んでいた時期があり、プラチナは高価、シルバーは安価。K18ホワイトゴールドという言葉すら知らないお客様が多かった頃、本当にK18ホワイトゴールドは相手にされなかった。
”新しい宝石感となる、宝飾がファッションとして身につけるもの。” というヨーロッパ宝飾の概念は海外ブランドが日本に入って根ずくようになってからとなり、我々コレクションは全国のマーケットに認めてもらえるようになります。
全国的にこの傾向が起こりだしたのは、我々が今治大丸に出入りする10年程前の頃であったようです。
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当時の今治大丸社長さんは、E本さんと仰る方でした。
社長の考えは、「今までと違った商品でないと、宝石好きのお客様の心に届かない。お得様が第一である。」
そして、我々の商品を一目見ていただいた時よりお導きをいただきました。
当時の宝石業界は、巨大宝飾企業に多くある同じデザインの製品を大量に生産することによりコストを下げ、多くの業者にてリスクヘッジを行うシステムが普通でした。
大量に素材を買い込み、同じデザインをいくつも機械生産にて作り上げるメーカー。
その輸入を担当する商社。
商社より購入する大卸。
大卸より小分けに購入する小卸。
お客様と直にに接する小売店。
ひどいところはさらに2.3の会社がぶら下がっていた。
よって、全国の宝石フェアーといえば同じ商品が、違う価格におきかえられ店先に並んでいるようなものでした。
悪しき宝石業界の体質でした。
一方我々は、一軒一軒イタリアの工房を訪れ、買うべきか?やめとくべきか?何度となく背中に汗をにじませ事によっては、何度となく工房とホテルを往復し心ときめく宝飾品を輸入することを決める。
仕入れはいつも真剣勝負。毎回毎回帰りの飛行機はぐったりしている。
そんな、気の遠くなるような作業を年に3、4回。
多い時には6回遠く離れた異国に訪れている。
そんな、手間暇掛けた企業努力をE本社長は分かっていらっしゃっておられました。
自分の好きな宝石業者、その会社のその社員としかもう20年以上同行したことが無いとの部員がほとんどで、新参のメーカーは相手にされなかった。
しかもイタリア人ひきつれた我々は「宇宙人」でも見るかのごとく煙たがられた。
「清水です。今日一日同行よろしくお願いいたします。」
朝、今日同行する外商担当員に挨拶に行くと渡した名刺を破られた。
顔面に投げ返されたりした。
せっかくカバンに詰めた宝石を全く紹介してもらえず、一日海辺で日向ぼっこをさせられたりした。
今、少し仕事に慣れ外回りの大変さを知るようになりこの状況が想像できるようになってきたが、当時は分かって頂けないことに心が折れ、始まり当初は本当につらいと感じていた。
SALON D' ALIKA KYOTO

イタリアより宝石商のレンツォバルデレスキーさんが日本に来日し、彼の作品を大丸の店内にて展示即売をすることがイタリアジュエリーを初めてこの街に導入することになる。
『イタリアンジュエリーイン今治』
バリバリのイタリアメーカー社長は、大丸百貨店での初めて展示会との事で鼻息荒く来日してきた。。。
しかし、東京、大阪の本店にて仕事をしていた彼には、地方百貨店はあまりに小さく映っていたようでした。
大柄な体格に新調したスーツを着こなしたイタリア人は、この街にはミスマッチ。すれ違う人が少し敬遠気味であったと記憶しています。
この記念すべきデビューキャンペーンは始まりから波風がたち、前途多難の様相でした。
SALON D'ALIKA KYOTO

私がS友不動産株式会社を辞め、初めて参加したアリカの宝石催事はこの愛媛県今治市にあった大丸百貨店でした。
この大丸には外商部なる部署が存在する。
この部員は、百貨店のVIPのお客様のお宅に業者ともども訪問し売り込みをする部署で、聞こえはVIPのお客様のお抱え社員であるが実際には、体裁のいい押し売り業務である。
私は、この今治にてはじめてこの業務に携わることとなった。間違いなく海外の宝石商ではありえない販売方法である。
忘れもしない10年強前の話。。。
SALON D'ALIKA KYOTO/サロン・ド・アリカ 京都

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