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ヴェネチア展が京都文化博物館に来ていたので行ってきました!

正直に日本人はヴェネチアが好きである。小生のヴェネチアの印象は小さな島の集まりでごちゃごちゃしてて
むしろ何をそんなに…
という気持ちが強いのである

だから余計に見たかったのだ。

でわでわ。

ヴェネチア展

ヴェネチア展 
ローマ帝国、イスラム圏の強国に囲まれたヴェネチア共和国は6世紀に始まる。
君主国家として有史上幾度となく侵略の危機にみまわれた。
しかし海に囲まれた土地柄と鍛え上げられた航海術、たぐいまれな商才により独自の海洋国家として1000年の歴史と輝かしい文化を作り上げた。
まさに神聖ローマ帝国(ハプスブルグ)を思わせるイタリア版のエリート集団。


歴史
宗教の違いによる戦争も多々発生

レパントの海戦 『レパントの海戦』

この絵からも、ベネチア共和国はキリスト教軍の海軍の先頭にたち大活躍するのです。
これによりビザンチン帝国首都コンスタンチノープルをしゅゆうにおさめる時期もあり、「アドリア海の女王」として栄華を極めるのです。


土地
ヴェネチアは、海に浮かぶ島々からなる国。
置かれたロケーションがヨーロッパ、アジア、アフリカの境界の地であったため幾度となく侵略の危機にみまわれ、その反面異教、異文化の恵みにより豊かな国であったようです。

ヨーコポ・デ・バルバリ ベネチア 
1500年頃にはこのように建物の形すらはっきりわかる地図が描かれている。
上部にはメルクリームス。商業の神。左手には、はい二匹の知力を表す蛇をあしらった槍を持っています。
下部にはネプトゥヌス。海の神も掛かれています

ヨーロッパの窓口であったヴェネチアは海上交易でも莫大な富を得ます。

社会科で散々覚えたマルコ・ポーロのアジア探検も我々には馴染みの話。
東方見聞録には日本の事も黄金の国。真珠や珊瑚がドッサリドッサリ...として登場します。
マルコポーロの帰還 『マルコポーロの帰還』
多くの方がヴェネチアの英雄の話に海の向こうを夢見たことでしょう。マルコポーロの言葉に食い入るように引き込まれているのがよくわかります。

また16世紀頃には戦いにより富を奪い取る事より、商業や近隣国に友好的に振る舞うことにより異教異文化の良いところを吸収し、海洋貿易はより加速し共和国は豊かになっていきます。


政治
ドーチエと呼ばれる国の象徴となる君主からなるしっかりした政治があった。

ジョヴァンニ・モチェニーゴ 『ジョバンニモチェニーゴ』
当時の流行りであった横向きのポロフィールに金糸で編んだマント
帽子には「永遠の象徴となるザクロ」が描かれる

コッチの真実の口 『真実の口』となずけられた匿名箱。
町の至るところに設置され、市民の声を行政、司法に平等を反映させたそうです。

産業
この国には、有名なガラスがあった。


フィグリ
  フィグリ文様

ヴェネチアガラス。
10c末ヴェネチアガラスは始まる

1291年 ガラス職人は火災を警戒する事と生産技術の保護政策のためムラーノ島に移住させる法令が作られる

1450年 クリスタネッロと呼ばれる透明度の高いガラスを発明

16C「アイスガラス」白濁ガラスにひだのような突起が流行


ヴェネチアガラス アルツァータ
 アルツァータとよばれる形のガラスでできた台。
ダイヤモンドで削られた組紐文様

16-18C羽根飾り 
ヴェネチア ガラス 
これは「カ・レッツォーニ様式」レッツォーニ宮殿の為に18Cに作られたことから始まる。

今でもヴェネチアの町に行くと窓に飾ってある技術だ。



栄華の陰りが見え出します。

17cに入ると贅沢暮らすようになる市民は国力を低下させることになります。
そして伝統あるヴェネチアもフランスルイ王朝同様に…

1797年ナポレオンにより征服され1000年の歴史に幕を下ろします。


何より、成り上がりのナポレオンはこの伝統を手に入れ喜んだ事でしょう。

「サンマルコ広場はヨーロッパでもっとも美しい広場」と言葉を残しております。

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